言葉に責任を持つ

ある難病に苦しむ人々を取り上げた特集を見た。
なかなか理解されない病状。
生活をする上での障害。
その他些細な事柄を話すことの出来る仲間が、同じ病に苦しむ人々。
そんな彼らが集まり、専門家の意見を聞いたり、情報交換をしている。
そういった内容なのだが、一点だけ引っかかった部分があった。
病状が病状だけに、好奇の目に晒されることも少なくなく、それによって傷付いたというのだ。
つまり、外見からも「普通の状態ではない」ことが明らかな訳で、それ故私達はついつい「二度見」してしまう。(申し訳ないと思いつつも)
それは決して褒められたことではないし、意識して止めるべき行為だろう。
けれど、無意識のうちに「二度見」してしまうのもまた現実であり、そこには悪意はない。
好奇の目すら存在しないこともある。
恐らく誰でも一度ぐらいは経験しているだろうし、それを恥じることが出来るか否かが大切な気がする。
それを踏まえた上で、敢えて聞きたい。
「二度見」されて傷付いたあなたは同じような行為で誰かを傷付けてきたのではないか、と。
その立場になって初めて気付くこともあるし、自分は傷付く癖に相手の痛みには悲しいほど鈍感な人もいる。
或る意味お互い様であり、それを踏まえた上で発する言葉でなければ伝わるものも伝わらないのではないか。
そんなことをふと考える私は、筋金入りの天邪鬼。
せめて自分は…と肝に銘じるしかないのだ。